軽井沢と草津温泉を結んだ草軽電鉄は、
1962年に営業を終了しました。
18あった駅のうち、今でも当時の姿をとどめている駅舎は北軽井沢駅だけ。
法政大学村(現:大学村)が資金を出して、駅舎を改築したことから、
頭文字の「H」が、欄干に白くデザインされています。
書籍『草軽電鉄の詩』(草軽電鉄刊行会)に掲載されている、
草軽電鉄の従業員や乗客のインタビューの一部を紹介します。
軽井沢から草津に着くまでの間に、7回の脱線を経験した運転手のAさん。
「いくら脱線に慣れてるからってこれには参ったな。
いい加減イヤになった、またかっていう感じでね」
職場結婚した女性運転手のYさん。
「彼は保線係でね、私の乗った電車が通る時間を見計らって待っていて、
停車するやいなや飛び乗って、手紙を交換し、また飛び降りるの。
慌ただしい逢瀬だったけど、あの当時としては、それでも結構、ね」
国境平駅付近に咲く、つつじの花見客のための納涼列車を運転したMさん。
「六月の二十日くらいかね、花の盛りは。
それこそ一面が真っ赤、絨毯をしきつめたみたいで、
夢のような景色だったね、ほんとに」
この3人の話を聞くかぎり、乗り物というより、
テーマパークのアトラクションを思い浮かべてしまします。
当時にタイムスリップできたら、何としても乗ってみたいですね。
ただ、脱線ならまだしも、
時には横転することもあったそうなので、
それだけが心配です。