先人に感謝の日

戦後間もない1953年4月、
浅間山を米軍の演習地にする計画が浮上。
計画を知った地元の人や、別荘住民らが、
すぐさま反対の声をあげ、運動が長野全県に広まり、
同年7月、計画は取りやめとなりました。

追分の荒井輝允(てるのぶ)さんは、
西地区連合青年団の団員として、反対運動に奔走した一人。
当時を振り返り、自身が付けていた日記などをもとに、
書籍『軽井沢を青年が守った』(かもがわ出版)を著しました。

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本には、当時の町長らが、なぜ演習地誘致に乗り出したのか、
反対運動の先頭に立った田部井健次さんとは、どんな人物か、
田部井さんと米軍司令官が、県庁でどんなことを話したか、
当事者の視点で、反対運動に取り組んだ3カ月間を描いています。

もし当初の計画通り、浅間山が演習地になっていたら…
今日も、上空を軍用機が飛び交い、
小鳥のさえずりの代わりに、銃声が鳴り響き、
ネオン街と化した追分宿に、米兵がたむろする。
そんな軽井沢ができていたかもしれません。

A.C.ショーを始め、軽井沢の発展に尽くした先人を讃える
「軽井沢ショー祭」が8月1日、ショー記念礼拝堂で行われます。
一丸となって、演習地反対運動を繰り広げ、
今日の軽井沢を守ってくれた先人に対しても、
感謝を捧げる一日にしたいと思います。

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Jun Shimazaki

その日撮った写真やら、
取材先で気になったことやら、
話題のスポットやメニューやらで、
軽井沢ライフがちょっとオモシロク
なるようなブログにしたいと思います。