軽井沢新聞11月号でも取り上げていますが、
先月、旧軽井沢のアームストロング別荘で、
利用再開を祝うパーティーがありました。
そのときの記事はこちら。
その別荘で暮らしたカナダ人の女性宣教師、
マーガレット・エリザベス・アームストロング(1877-1960年)は、
1941年に日本に帰化し「亜武巣(あむす)マーガレット」と名乗りました。
当時の日本は、戦争へ向かってまっしぐら。
「外国人に園長は任せられない」という政府からのお達しで、
自身が富山市に立ち上げた幼稚園の園長を、辞めさせられてしまいます。
そこで、日本人になることを決意。
日本人の園長として再び、幼稚園に戻ったのでした。
野鳥が好きだったことから、
名前に「巣」の漢字を入れ、
軽井沢の別荘には「THE NEST」の表札が立ちました。
同じように、軽井沢ゆかりの方で、
日本に帰化した外国人は多かったようです。
アメリカ生まれの建築家、
ウィリアム・メレル・ヴォーリズ(1880-1964年)もその一人。
華族の一柳満喜子と結婚し、一柳米来留(ひとつやなぎめれる)と改名。
名前には「米国から来て留まる」という意味が、込められています。
また、考古学者で、軽井沢サナトリウムの院長を務めたスコットランド人、
ニール・ゴードン・マンロー(1863-1942年)も、1905年に帰化しています。
「Online ジャーニー」というサイトの特集記事に、
マンローの帰化について、
気になる部分がありましたので、引用させて頂きます。
「当時の日本で外国人同士が離婚するというのは余り例のないことであり、法律上の手続きは難航した。業を煮やしたマンローは荒技を使う。即ち、離婚前の妻共々日本に帰化したのである。満郎(まんろう)という漢字をあてて日本人となった夫妻は、無事に離婚することができたという。」
(「Online ジャーニー」Great Britons アイヌに生きた男ニール・ゴードン・マンローより)
結婚して日本人になった人、
離婚するため日本人になった人、
帰化する理由も人それぞれ。
オリンピック出場を目指して、
カンボジア人になった芸人さんもいましたね。